反抗同盟(5)




 就職活動はたいていの学生に平等に訪れるイベントで、皆瀬も由利もそこからは逃れられない。皆瀬は着慣れないスーツとストッキングで説明会と面接と授業とに歩き回る日々が続き、由利と連絡を取る余裕がなかった。同じくスーツ姿の由利を遠目に見かけることはあったが、互いにどこかぎこちなく手を振るだけで終わっていた。細身のスーツは由利に良く似合っていた。
 由利はその後二回、就職活動のためにゼミを欠席した。別に寝なくてもいいから、お互いに就職活動の愚痴を言い合いたかったな、と思いながら皆瀬はゼミの教室を出た。就職活動で「社会」はやはり男性に男性らしさを、女性に女性らしさを当然のように求めるのだという事実を思い知った。面接の疲れでやや重い足取りの皆瀬が四号棟の出入り口に向かうと、「皆瀬さん」と声をかけられた。デジャブ、と頭の中でつぶやきつつ振り返ると、そこには瀬戸が居た。皆瀬が素直に顔を強張らせると、瀬戸は苦笑した。
「そう構えないでよ。この間は、不快にさせちゃって悪かった。ゴメン」
 きっちりと頭を下げる様子に皆瀬は表情を和らげた。思ったほど無神経な男子学生ではないのだろうと頭の中の彼のイメージを修正する。
「不快にさせたって自覚があるんなら何の問題もないから、大丈夫」
「はっきり言うねえ」
 瀬戸は片目を細くしてバツの悪そうな顔をした。
「ごめんなさいね、こういう性格なの」
「ああ、うん、知ってる。でさ、ちょっと話がしたいんだけど、時間あるかな? これからシューカツ?」
 皆瀬のスーツへ目を遣ってそう尋ねてくる瀬戸は、ごく常識的な男子学生という印象だった。だからこそ、由利に対してあんな発言をしたことが不自然に感じられる。
「ううん、面接終わって授業だったから、時間は大丈夫なんだけど…ただちょっと疲れてる」
「ああ、面接って疲れるよね。どう? 順調?」
「今日は二次面接。他の会社は全部駄目」
「希望はどっち方面なの?」
「今日の会社は封筒を作ってる会社。封筒って一口に言っても色々あって面白いなーって思ってるからこのまま通ればいいんだけどね」
「やっぱ興味持てる会社で内定もらいたいよね。俺もまだ内定もらってないんだ…ってああ、話逸れたね悪い。でさ、ちょっと中庭のベンチで何か飲むくらいは、どう?」
 四年次ではサークルの同期にも学校で会うことが少なくなった。皆瀬は誰かと情報を共有したいという気持ちと疲れとを天秤にかけ、結果瀬戸に対して軽く頷いた。
「じゃあ、そのくらいなら」
 瀬戸は「サンキュ」と言って笑顔を見せた。

 中庭ベンチに座った皆瀬に、瀬戸は「一応お詫び」とペットボトルの紅茶を差し出した。
「素直に受け取らせていただく。ありがと」
「和解、と思ってもいいの?」
「別に私たち喧嘩してた訳でも無いと思うけど?」
「そうかな? 皆瀬さん、由利君のこととなると目の色変わるよね」
 今突きつけられるには痛すぎるところを突かれて、皆瀬はペットボトルのキャップを開けようとしていた手を止めた。
「そんなことないけど?」
「あの日のゼミで皆瀬さんさあ、由利君のことが心配で仕方ないって顔してたんだぜ。だからつい、由利君のこと貶めるようなこと言ったんだけどね」
 皆瀬はキャップを乱暴に開けると中身をを三分の一ほど一気に飲んだ。もうこれは返さない、という意思表示だった。
「私が由利のことを心配してるかどうかはともかく、瀬戸君の行動の意味が分からないんだけど?」
「そうかな? 皆瀬さんは由利君が気になる。俺は皆瀬さんと付き合いたい。単純な三角関係だと思うけど」
 皆瀬が驚いて顔を上げると、瀬戸は手に持っていた缶コーヒーのプルトップを開けて皆瀬と同じくらいの勢いで喉に流し込んだ。手の甲で口を拭って皆瀬に向き直る仕草は、好感が持てた。
「俺と付き合わない?」
 それでも、瀬戸が皆瀬にもたらしたものは、痛みだった。
「…ごめん。それは、無理」
 瀬戸は首をガクリと下げてから、長く息を吐き出した。
「やっぱ、駄目だったか」
「うん、ごめん」
 瀬戸は缶コーヒーを手に持ったままで立ち上がると、皆瀬の目の前に立った。
「予想はついてた。疲れてんのに来てもらって悪かった。もし内定もらったら、俺にも教えてよ」
 瀬戸の後ろ姿を見ながら、皆瀬はしばらく呆然としていた。瀬戸が間接的に皆瀬に突きつけたのは、由利に失恋したのだという変えられない事実だった。


 次の週のゼミ、由利は授業が始まるぎりぎりの時間に教室へすべり込んできた。スーツ姿で、鞄も革のビジネスバッグだった。見た目完璧に「社会的な男性」になっている由利に、皆瀬はどこか壁を感じた。
 ゼミの授業が終わってからも由利は教授と話し込み、皆瀬は話しかけるタイミングを逃したまま教室を出た。すぐに後ろからドアの開く音がして、「皆瀬さん」と声をかけられた。振り返ると瀬戸がドアから出てくるところだった。
「面接の結果、連絡あった?」
 皆瀬は瀬戸が追いつくのを待ってから再び歩き始めた。
「うん、大丈夫だった。次で最終面接だって」
「すごいじゃん。俺もやっと一次面接が通ったんだけどさあ、その会社四次面接まであるんだぜ。次まだ二次かと思うと先が長いよ」
「でもそのまま最後までいけるかもしれないでしょ?」
「まあね。皆瀬さん、この後何かあるの?」
「封筒にまつわるレポートを書かないとなあと思って。最後の面接日までの課題なのよ」
「ああ、面接進むとそんな課題まであんのか…ちょっとだけ時間取るとかも無理そう?」
 少し考えて『少しなら』と口にする前に、肩をつかまれて皆瀬は立ち止まった。瀬戸も驚いた表情で立ち止まっている。
「瀬戸君、悪いけど皆瀬は僕と約束があるから」
 肩をつかんだのは由利だった。スーツの効果もあってか、硬い表情が際立っている。
「あ、ああ…そうなんだ。皆瀬さん、じゃあ…また今度」
 瀬戸は皆瀬に軽く手を上げてからすんなりと引き下がった。後ろ姿が見えなくなってから、皆瀬は由利へ向き直った。
「約束、あったっけ?」
「廃線見るって言ったまま結局行ってない」
「見るなんて約束してないと思うけど」
「スーツじゃ暑いから家で着替えたいんだけど、いい?」
「話聞けよ」
 相変わらず自分のペースを崩さない由利に、皆瀬は溜息をついた。しかもいつものような軽口の柔らかさもない。由利は横目で皆瀬を捉え、低い声でつぶやいた。
「皆瀬が僕としたいんなら、してもいい」
 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。意味を飲み込んだ皆瀬は引っ叩いてやりたい衝動に駆られたが、彷徨った腕は力なく下ろされた。
「馬鹿にしないで」
 言えたのは、それだけだった。
「…ごめん。とりあえず、行こう」
 先に歩き始めた由利を、皆瀬は三歩遅れで追った。


 由利は部屋に入ると皆瀬の前で堂々とスーツを脱ぎ捨て着替え始めた。確かに見慣れているので驚きはしないが、胸の中に違和感が湧き上がった。ワイシャツをベッドに放り投げTシャツを手にとってから由利は皆瀬を振り返った。
「寝る? 田島先輩、皆瀬となら寝てもいいって。浮気とは思わないって」
「みぞおち狙われたくなかったら二度とその手の発言すんな」
 皆瀬が低い声で吐き捨てると、由利の声も低くなった。
「瀬戸とでも付き合うの? 同じゼミに居ながら同性愛が気持ち悪いなんて言うような奴だろ?」
 そこで由利のいらだちの理由がはっきりして、皆瀬から尖った怒りは抜けた。ベッドに腰掛け、放られていたワイシャツを丸め投げやりに由利へと投げつけた。
「どっから伝わったのか知らないけど、瀬戸君は同性愛が気持ち悪いだなんて言ってないわよ。私と付き合いたいから、ついアンタのこと悪く言ったんだって謝ってくれたわ」
「どっちにしろ根性が悪いんじゃない? で、付き合うの?」
「アンタそんなことに興味ないんじゃないの? まあ、付き合わないけどね」
「興味はあるよ。だって僕女性の喘ぎ声になんて絶対何にも感じないと思ってたから。皆瀬とするまで」
 その言葉に嬉しいという気持ちがないわけではなかったが、しかし舞い上がれるほど楽観的にもなれなかった。
「体の反応の事を言ってんじゃないわよ。田島先輩に恋してるんでしょ? 私とは付き合ってるわけでもないでしょ?」
「確かに僕は田島先輩と恋をしてるけど。でも皆瀬とも今まで通りでいたいんだ。だから皆瀬が僕と寝たければ寝るし、食事に行く時はちゃんと甘いものばかりじゃないところを選ぶ」
「寝るのと食事を同列に語るんじゃないわよ」
「何でだよ皆瀬。皆瀬は最初から同性愛に嫌な顔なんてしなかったじゃないか。何で今まで通りじゃ駄目なんだよ。田島先輩を取った僕が許せないんならそう言えよ」
 この男は何にも理解していない、そう思い知った皆瀬は由利の耳を引っ張って顔を近づけた。
「相手が男だとか女だとか関係ないのよ、馬鹿。私は、田島先輩じゃなくてアンタが好きなの。だから辛いの。今まで通りに振る舞えないのよ。だけど時間が経てば、もしかしたら寝る前の私たちみたいに戻れるかもしれない。私のこと突然放り投げたのはアンタなんだから、そのくらい待ちなさいよ」
 皆瀬が耳を離すと、由利はよろよろと後ろのクロゼットに背を付けた。
「…ごめん」
 結局、由利の言葉はそこに行き着くのだと思った皆瀬は涙が落ちないように目を閉じた。もうここに居ても意味がないと玄関へ向かうと、後ろから手をつかまれた。皆瀬は振り返らずに「何よ?」と尋ねた。
「今日一日だけ、付き合ってくれないかな。僕、廃線に立ってる皆瀬の後ろ姿を写真に撮りたいんだ」
「意味が分からないわ。田島先輩を撮ればいいじゃない」
「皆瀬じゃないと駄目なんだ。皆瀬ならきっとあの場所に溶け込む」
 勘違いするような発言をするんじゃない、という言葉は喉の奥に詰まって出てこなかった。皆瀬は由利と向き合った。私が泣いている姿をずっと覚えていればいい、と願った。


 その後、皆瀬は封筒制作の会社に内定し、就職活動を終えた。瀬戸も無事に内定をもらったと報告があった。皆瀬は時折ゼミの後にファストフードの店で瀬戸と他愛ない話をするようになっていた。
 由利は名の通った商社に内定をもらっているのだとゼミの別の学生から聞いていた。調べてみると、田島の勤める会社のほど近くに本社があった。
 皆瀬は由利と二人で、社会へのささやかな反抗を試みていたのかもしれない、と思う。男らしさや女らしさをまったく意識せずに過ごせる異性同士は居心地がいい上に見た目だけであれば社会に違和感なく溶け込むことが出来る。けれど、いつまでもそうやってごまかしてばかりはいられない。疑問を投げかけるような視線を向けられても、それに平然としていられるくらいの強さは身につけなれば社会に出て行けない。
 同性愛の男性しか好きになれない体質なのではないか、という不安は由利を好きだと自覚した頃からずっと抱き続けている。皆瀬は瀬戸からもう一度『付き合って欲しい』と言われていた。答えは保留していた。


 四年次の秋の文化祭、バスケットボールサークルは毎年恒例で焼きそばの屋台を開いている。皆瀬は鉄板を前に汗をかいているサークルの後輩達に差し入れをしてから、門への近道である五号棟の一階通路を通り抜けた。五号棟の各教室は文化部系の発表や企画が割り当てられている。
 特にどこを見るという目的もなく通り過ぎようとしていた皆瀬だったが、ある場所で突然見覚えのある景色に遭遇し立ち止まった。
 大きく拡大され教室の入り口横に飾られたその写真は、雑草の生い茂る廃線の風景だった。真ん中に紺色のワンピースを着た女性が後ろ姿で立っている。タイトルなどは一切付けられておらず、誰が撮ったものかも記されていない。だが、そこが廃線研究会の展示教室であることも、撮った人間が誰なのかも、皆瀬にはすぐ分かった。
 自分自身の後ろ姿とは思えないほど綺麗な風景は、蒸し暑い日に由利が撮ったものだ。皆瀬の前を通り過ぎようとした男子学生も一瞬足を止めて写真に見入っていた。
 それはまるで、ささやかな同盟を結んでいたことの証のようだった。由利にメールしよう、と皆瀬は口の中でつぶやいた。由利からこの写真を一枚もらい、それから瀬戸と付き合ってみようと皆瀬は心に決めた。




(FIN)




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