不適格な二人(3)




 『またどっかで飲まないか?』というメールが届いた時、嬉しく思うと同時に不安にも思った。けれど実際顔を合わせると、意外にも感情は凪いでいた。高須賀は『巻き込むべきじゃなかった』と言った時の深刻な表情などまったく見せない。眉を寄せながらもどこか軽い調子で同僚に対しての愚痴を吐いている。どこにだって色んな人が居るものだ、と考えながら彼の話を「はいはい」と受け止めていると「聞いてるか?」と顔を覗き込まれた。
「聞いてるわよ。今の高須賀の愚痴一から反復できますが何か?」
「そんなモン反復しなくていんだよ授業じゃあるまいし。それよりもうちょっと表情の変化を求む」
「元からこういう表情なのごめんなさいね」
「お前なあ。てか小塚は愚痴とかないわけ?」
「あるわよ一応社会人やってるんだから細かいところから大きいところまで。でも他人に話したところで仕方がないじゃない、時間経てば忘れられる程度のことが比較的多いし」
「諦め早すぎんだろそれ。つか言え。愚痴言え。俺に言え」
「いやちょっと意味が分からないんですけど」
「趣味で制服着せるとか有り得ないみたいな内容でもいいから言え」
「はっ? ちょっ、何言ってんのよ」
 治美は思わず周囲を見渡した。今座っている場所はテーブル席だが個室ではない。意識過剰と分かっていてもこちらに向かう視線がないか確認せずにはいられなかった。
「その手の話をしたいのなら個室を確保してくださいお願いします」
 顔を近づけて向かいの男を睨んでやると「誰も聞いてやしねえよ」と開き直られた。
「つかさ、男なら誰だってそういう部分はあんだよな。この間同じ高校出身のヤローどもと飲んだら、ナース服色違いで三種類自宅に常備してる奴も居たわ」
「誰でも多少そういう部分があるって結論は否定しないけど、はっきり言って高須賀のはレベルが違う。私が人のこと言えないのは置いておいて」
「レベルが違うて。言ってくれるなあ。ちなみに鏡はな、案外男には好評だ。俺もそういう女がいいって奴もいた」
 治美は迷わず手を伸ばすと彼の耳を引っ張った。
「いででで」
「何で鏡の話を他人に話してんのか理由を聞いてもいいかしらね」
「べ、別に固有名詞は出してない。ただちょっと付き合ってる女が変わってるって話をだなあ……いやごめんマジで痛いから離してください」
 酒が入っている為か自分を制御する何かが薄らいでいる。治美は高須賀の耳を離さなかった。
「いつあたしがアンタと付き合ってることになった?」
「それは言葉の綾っつーか」
 思い切り引っ張ってから耳を離すと「あだっ」と小さく声を上げた。その表情にやや満足感を覚えつつオレンジ色のカクテルに口をつける。
「やっぱさ」
 ビールを飲み干した高須賀がぼそりと口を開く。
「この仕事に就いてなかったとしても、十八歳未満は駄目なんだよな。こうなんつーか大人の男として?」
「それ今更確認するようなことじゃないでしょうよそもそも立派な犯罪なんだし」
「おお、今日の小塚は攻撃的だな」
 確かに、友人にすら滅多に見せない自分の起伏の激しさが酒の力を借りて表に出てしまっている気がした。良くない傾向だ、と治美は眉を寄せて残りわずかになったグラスを眺めた。
「ま、俺に抱かれてる時の青白い顔より、百倍いい」
 顔を上げると、高須賀は枝豆をかじりながらテーブルに視線を落としていた。握っているグラスの水滴がやけに手のひらに張り付く。治美は薄くなってしまったオレンジ色を一気に飲み干した。ふと高須賀が手を伸ばし、バレッタからこぼれ落ちた治美の髪に指を絡ませた。
「俺もうお前を巻き込まないなんて偉そうなこと言ったけどさ、結局のところ最後の砦が小塚である以上巻き込まないなんて無理なんだよな。あとは犯罪一直線になっちまう。だからさ」
 解放された髪が頬の横で揺れた。高須賀の指は治美の首筋を撫でてから元の場所へ戻っていった。
「黙るなよ。いっそのこと罵ればいい。小塚はもっと普通の男と付き合えるはずだし、不適格なのは俺の方だ。でも犯罪に足突っ込むのは俺も本意じゃない、頼むから仕方なく俺の相手してやってくれないか?」
 法に触れる一歩手前のロリコンが右顎を掻く指に、触れて欲しいと思う自分はやはりどこかおかしいのだろうと治美は思う。
「要するに、罵っていいから相手をしてくれってこと?」
「まあ、そうだな」
「アンタってMだったっけ?」
「案外そうかもしれん、今気づいた」
 またおかしな属性が増えたわね、と告げると高須賀は屈託なく笑った。



 高須賀の部屋のベランダに視線を落とし、治美はまぶしさに目を細めた。小さなビニールプールの水面に陽がキラキラと反射している。ご丁寧にプールの下にはアウトドア用のマットレスが敷き詰めてあった。ベランダの手すりが柵ではなく外から見えない壁タイプで良かった、と心の底から治美は思った。
「で、何を着ろと?」
 振り返ると彼は両手で紺色の物体を差し出した。受け取って布地を広げると、上下セパレートで腹まで隠れるタイプの水着であることが確認できる。
「最近のスクール水着ってお洒落なのね」
「スクール水着じゃねえよ、それっぽいデザインだけど。探すの苦労した」
「よく店の人に通報されなかったわね、ド変態」
「プレゼント用にしてくださいって大きな声で宣言したからな」
「どっちにしたって変態だわ。胸に名前書く白い布が付いてたら容赦なく殴ってたところよ」
 最近の高須賀は変態扱い程度で動じない。耳を思い切り引っ張ると「いで」と小さく漏らした。ついでに軽く唇を合わせると今度は目を彷徨わせる。今更この程度で照れるところが面白い。
 いつかきっとこの男は犯罪に足を突っ込むだろう。ただ、それまでは相手をしてやってもいい。心が痛まない訳ではないけれど、高須賀にも傷があると知っているから、治美はその結論を受け入れ続ける。
「土下座してもいい、それ着て一緒に入ってください」
「彼氏が変態ってホント苦労するわ」
 紺色の物体を手にとって、治美は寝室へと向かった。そこには不自然なほど大きな姿見が、部屋の主ではない存在のために置かれている。



(Fin)




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