痛みの在処




 その人は私の直属の上司だった。既に亡くなっている奥方の看病を優先したために出世できなかったという噂は、おそらく真実なのだろう。確かに仕事のできる人で、まだ就職して間もない私の直属の上司としては勿体ないとしか言いようが無かった。穏やかで他人の話をきちんと聞く上、アドバイスは的確だった。年齢にしては他人を立てすぎるところが欠点で、もっと意見を表に出せばいいのにと口にしたこともあるけれど、彼はひっそりと笑うだけだった。思えば、彼は奥方を失ってからずっと生きていても心はこの世界になかったのかもしれない。
 若い女性の間からも優しいし頭がいいとおおむね好意的に受け取られている彼へ、私も同じ視線を向けていたはずだった。彼が体調を崩して入院し、お見舞いに訪れるまでは。最初は同じ部署の友人と一緒に行った。病気の内容を詳しく話してはもらえなかった。友人が「御手洗いに」と席を外したところで、まるで満たされているような表情で「死んだ妻が、来てくれたのかと思った」とつぶやく彼の声を聞いて、以来その声は頭から離れなくなってしまった。私は、彼の奥方の若い頃に似ているらしかった。
 私の姿を見て嬉しそうな表情をする彼を見たいと、入院中幾度か彼の病室を訪れた。顔を見ただけで男性から喜ばれるなんて経験をしたことがなかったのだ。最初彼は驚いていた。「この間言ったことを気にしているのなら忘れて欲しい」と説得されたけれど、私は忘れられないと答えた。そして、私の好きでしていることですから、とも伝えた。
 退院後、何度も足を運んでくれたお礼にと食事に誘われた。妻が好きだった店なんだと紹介された店は緑の多い公園の隣に建つログハウスで、飾らない洋食はシンプルでコンソメやデミグラスソースの美味しさが引き立っていた。また誘ってくださいと祈るように懇願した私を前にして彼は困ったように笑っていたので、もう一度誘われた時には舞いあがった。それから何度も連れて行ってくれた店は、おそらくみな奥方の気に入っていた店なのだろう。ただ、車の中でこっそりとキスをするようになってから、彼が奥方のことを口にすることはなくなったので実際のところは分からないけれど。
 一度だけ、男女の関係にもなった。彼が二度目の入院をする直前のことだった。息子が既に独り立ちし彼だけが暮らしているというマンションは思っていたより新しい建物で、三人で暮らしていた頃の一軒家は売ってしまったのだと彼は説明した。とにかく物が少なく、それは彼のこの世界への執着の薄さを物語っているようだった。ベッドの中で彼は優しすぎるくらいに優しく、まるで病人を抱くような仕草だと思った。病を患っていたのは彼のほうだったのに。
 二度目の入院をすると、彼は退職を希望し、私は事務手続きのために病室を訪れなくてはならなくなった。一緒に入ったベッドの中でもう駄目なんだと静かな声で聞かされた時には覚悟をしていたはずなのに涙を留めるのが精一杯だった。
 私が最後に訪れた日、彼は私のことを別の名前で呼んだ。奥方の名前だった。葬儀は親族だけで執り行われ、当然私は参列できなかった。

 「新沢しんざわ」と表札に書かれたドアの前、マンションの廊下で私は立ち止まった。窓の向こう、カーテンの隙間からは灯りが漏れている。彼の息子が荷物の整理でもしているのだろう。こんなところで泣いていたら怪しまれる上彼の家族に迷惑がかかるのだ。なのに足が棒になってしまったように動かない。
 私は新沢という男性の目尻の皺までが愛しかった。けれど彼にとって私は奥方の迎えが来るまでのこの世の幻でしかなかった。たとえ私がこの世界で肉体として存在していても。それは最初から理解していたはずだった。でも覚悟しておけば傷がつかないなんてことは無いのだ。
 ガチャン、という音がして目の前のドアの鍵が外された。後ずさりした足のかかとが壁にぶつかる。立ち去らなければと思ったけれど間に合うはずもなかった。目の前には何度か病室で顔を合わせた彼の息子…新沢秋哉しゅうやが立っていた。向こうも驚いているだろうと予想した私は次の瞬間間違いを悟る。秋哉は顎を引いた。
「そこに居られるのは困る。入ってくれ」
 気付かれていたことが恥ずかしく涙を拭いながら戸惑っていると「不審がられるから、早く」と小さいながらも強い口調で咎められた。その通りだ、という気持ちが足を動かした。






COPYRIGHT (C) 2011 国里有簾. ALL RIGHTS RESERVED.