かじかむ手に炬燵




 まるでプレハブ小屋のような質素なアパートには、あまり物がない。ベッドはパイプ製、マットレスは使い古されて固い。夏は熱を持つばかり、冬は温度を逃がしてばかりの部屋にはもうすぐ使い物にならなくなるブラウン管のテレビが置かれている。かろうじてネットワークに繋がっているため、部屋の主はテレビをほとんど見ずにネットワーク経由で最低限のニュースを仕入れている。
 冬はこたつ、夏はエアコンがなければ死んでしまいそうな部屋である。防犯性も高くないので、合い鍵を使って入り込み過ごす時にはチェーンが欠かせない。窓を割られないように防犯フィルムを貼ったのは部屋の主ではなく芳佳 よしかだ。勝手に張らせてもらったのだが、告げても反応は薄かった。警備の仕事をしている癖に、と少し腹立たしく思った。
 古本屋で百円のものを買ってくるという本は、紙が黄色く変色しているものが多い。しかし質素な本棚に詰められた小説の趣味は悪くない、と思う。有名とは言い難い作家の予想外に楽しめる内容に何度も出会った。
 雑貨屋で二千円という金額で買って持って来た座椅子に座り、こたつに埋もれる如く体を突っ込んでいるのだが手がかじかむ。冬のエアコンは喉が痛むので避けたい。小さな電気ストーブがジリリ、と音を立てた。
 芳佳自身の部屋の方がずっと快適なのに、この部屋で待つ理由は一つで、男の方が芳佳の部屋に来ようとはしないからだ。八階建てマンションの五階に住む芳佳の部屋は1LDKだがウォークインクローゼット付きでバストイレは別、女一人暮らしにしてはやや贅沢な造りである。クローゼットには服がたっぷりと収納され、機能的なドレッサーには社の商品が詰め込まれている。化粧品メーカーの企画部に所属している芳佳は、服装からメイクまでこだわらなければならない理由がある。ここのところ業績が良いとビジネス誌に取り上げられた会社だ。化粧品を売るためにはイメージや印象が重要、常識である。
 一方警備の仕事しか経験のない男は芳佳の生きる世界が良く理解できないのだろう。高タンパク低カロリーでバランスのとれた食事をすること、不規則な勤務の中でもきちんと睡眠を確保すること、こまめに体を鍛え鍛錬すること。彼の中で大切なのはその三つだ。彼は芳佳の生きる世界を馬鹿にするわけではない。ただ、別の世界だと思っていて、芳佳の部屋に入りたがらない。結果、芳佳は快適と言い難いこの部屋にやって来る。
 芳佳が自分で買った物を持ち込むのは簡単だ。そこそこキャリアを積み会社が成長している今では女の自分にも経済力がある。しかし、男はそれを好まない。今座っている座椅子はどういう理由か好ましく思っているようだが、お金を出すから大きな暖房器具を入れたいという要望は拒否された。
 男にはあまり欲がない、と芳佳は思う。仕事があり、住む場所があり、平穏無事に食べていける。それで十分なのだそうだ。女もいるし、と付け足されて嬉しくなかったわけではないが、彼がその先を思い描いていないとはっきりとしたことも確かだった。芳佳自身も結婚や子育てに夢を描けるわけではなく、仕事を続けられないであろう現実に不安を感じるばかりで、これ以上を望んではいない。けれど、男とこのままの関係でずっと続けられるかと問われればそこにも不安を感じる。
 手がかじかんで、小説のページを捲るのにいつもより時間がかかる。仕方なくテーブルの上にページを開いたまま小説を伏せて、手をこたつに突っ込んだ。冷えた指先がじんわりと温まってくる。時計を見ると、男の勤務が終わる頃だった。不規則な勤務だが、シフトがきちんと組まれているので残業はあまりない。
 男は帰ってくれば芳佳の分まで夕飯を作るだろう。栄養値を計算した料理を。芳佳にそこまでの知識はないし、作るならある程度自分が食べたいものを作りたいので、この部屋に来る時には男に任せている。あえて口にはしないが料理は好きなのだろう、丁寧で手際がよい。
 ようやく温まった手をこたつから出して、小説を手に取った。いつまでも続くはずがないと知っている。だけどまだ、ここから出て行きたいとは思わなかった。






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