架空の十字




 同窓会という場所は時間と記憶が上手く交わらない不思議な空間だ、と考えながら私は梅干しの入った焼酎を傾けていた。一時期日本酒に凝っていた時期もあったけれど最近は身体のことも考えて焼酎を割っている。年齢のことは考えたくないけれど、だからといって放置しておくわけにもいかない歳に達してしまった。
 隣で若い女の子みたいにハイボールを傾けている男は小野崎といって高校の同級生の一人だ。ハイボールを選ぶ理由は「酒にあまり強くないから」だそうであの頃あんなに堂々としていたしまあ今も割合に堂々とした態度なのに酒に弱いのか、と微笑ましく思わないこともない。
 ただ、反対側の隣に座る結構な美人の元同級生に対して子供の写真を見せながら楽しそうにしている姿は「微笑ましい」なんて言えそうにない。正直に言えば似合わない。違和感が半径一メートルを支配している。
 私の反対側に座る友人の友梨は驚く表情を隠そうともせず「小野崎が気持ち悪い」と私に耳打ちした。「気持ち悪いは言い過ぎじゃない」とフォローしてみるものの横目に捉えた小野崎はやはり記憶と結びつかず脳内が不協和音に満ちる。まさか、理系科目では必ず成績トップをかっさらっては唇の端を上げてこちらを見下ろしてくるような男が、自分の娘自慢に没頭するとは。時間とはかくなるまでに偉大である。
 あの頃の私にとって小野崎という男子生徒は目の上のたんこぶでありながら、ほとんど唯一の同類でもあった。女子高生にして恋に夢を見られなかった私。「早く女を金で買えるようになりたい」とまで言って私に向こうずねをを蹴っ飛ばされた彼。お互いの揚げ足を取ることばかり考えながら、それでも私たちは数少ない同類であることに気付いていた。一度面倒くさいから付き合ってることにしようかと持ちかけられたことがあるくらいだ。まだ恋に失望まではしていなかった私は彼の言葉を鼻で笑ってあしらった。
 思い出すのは家庭科の育児の授業。先生の説明する言葉が全く頭に入らなかった。飲み込めなかった、と言ってもいい。ふと視線を感じて顔を向けた時、小野崎の「お前もだろ」という表情は今でも思い出せる。あの頃、私たちは間違いなく同類だった。

 狭い個室造りになっている居酒屋で向かいに座る小野崎は梅酒のお湯割りを飲んでいる。私相手だから取り繕う必要もないと唇の端を上げて笑った。それなら何故私を呼び出したのかと尋ねれば「同窓会で見かけた時相変わらず地味だなって馬鹿にしたくなった」と答え、私の髪を一房手にとって弄んだ。その為にわざわざメールアドレスを交換したのだとしたらふざけている。ただ、目の前の小野崎はあの頃の小野崎と変わらないように見えた。
 いつ娘自慢にシフトするかと構えていたけれど、彼は娘の写真を出さなかった。研究職の職場は女が少なくて潤いがない、などと仕事の愚痴が続く。じゃあ奥さんとはどこで出会ったのかと訊くと、秘密だとはぐらかされた。独身のこちらは語るべき家族の話題があまりない為、結局仕事の話に終始した。相も変わらず小野崎は揚げ足取りの上手い男だったけれど、私がデザインしたマグカップの画像を携帯で検索して見せた時は素直に褒めた。
 とはいえ、嬉しかったからといってこんな男にホイホイと部屋へ釣られるべきではない。頭では分かっていた。でも、行動が伴わなかった。なんて駄目な大人だろうとベッドの中で小野崎の後頭部にある髪を握りながら自嘲した。まさか、自分が、買われるなんて。
「金で成川を買いたいんだけど」
 そう言われた時向かいの脚を蹴っ飛ばしてやったけれど、小野崎は痛くもかゆくもないかのような表情で笑っただけだった。仕方なく、適当な自虐であしらおうと思った。
「買う価値なんて無いわよ。胸もたいしてないし」
 付き合った男たちが離れていった理由は自分でも承知している。まあ、胸ではないけれど。
「成川の価値は腰から下のラインだよ」
 コイツ最低だ、と思ったけれど結局こうなった私も大概である。もしかしなくとも、この男からならば『結婚と欲求処理は別だ』と言われてもおかしくなかった。
 そもそもあの頃から、私の身体だけは評価していたのだ。小野崎は。






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