ビルの合間の空(3)




 麻柚夏と西山文彦は、時折休みが合えば一緒にお互いの自宅でDVDを見る関係になった。どちらの家で見るかは、ほぼ順番で決めていた。何故か官能的な意味でのR指定が付く物ばかりを見て、そして必ず身体を重ねるのが習慣になってしまった。彼との行為での身体的な充足は大きく、麻柚夏は夢中になっていた。
 つまりこれは男に飢えているということなのだろうかと冷静に考えるたびに麻柚夏は背中が冷たくなる心地がした。そして、彼との関係を終わらせなければと心に決める。しかし西山文彦が麻柚夏の部屋にある文房具を楽しそうに眺めたり、もっと写真を見せて欲しいと一枚一枚眺めたり、そういう身体だけの関係としては不似合いな出来事があるたびに決心が鈍った。
 もちろん麻柚夏は彼が一般的に女性からもてるであろうということも、さらに言えば他に付き合っている女性が居ることにも気づいていた。時折訪れる彼の家には、他の女性の気配がいつも残されていた。洗面所で落とした歯磨き粉のチューブを拾う時、洗濯機の陰に見つけた鋭い紫色の石のピアス。三角形に折られたトイレットペーパー。ソファの隙間に挟まっていた茶色い長い髪の一本。麻柚夏はピアスの穴も開けていなければ髪を染めた経験もない。けれど麻柚夏は決してそれを西山文彦に口にすることはなかった。胸の奥を針が指すような小さな痛みを感じたとしても、自分と彼の関係でそのことを責めるのはルール違反だと考えていた。

 別れを決めた場所は、出会った場所と同じ銀座だった。声をかけられてから、一年が経過していた。ファッション誌に載りそうな服装とスタイルの、際立つ化粧が施された品の良い女性と、西山文彦が二人腕を組んで通りを歩いていた。彼と目が合った麻柚夏は、見知らぬ顔で通り過ぎればよかったのにできなかった。
  「誰?」と隣の女性は口を動かした。「仕事の相手先で、あんまり話したことはない。地味だしね」と答える彼の声を、麻柚夏は耳に捕らえてしまった。雑踏の賑わいが突然聞こえなくなったように感じた。麻柚夏は西山文彦の目の前まで歩み出ると、生まれて初めて男の頬を平手で殴った。もう二度と会わない、と言う意味と、それから少しは自重しろ、と言う意味を込めて。驚きのためかびくりと上半身を反らし目を見開く女性に向かって、麻柚夏は「彼にはどうか気をつけて」と可能な限りの営業スマイルを残してその場を立ち去った。
 空を見上げた麻柚夏は、この下から立ち去りたいと願った。




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