誰が何と言おうと同類だなんて認めない




 大学でマラソン同好会に入った理由は、高校時代のような陸上部活動に戻る自信も気力も無かったからだ。走ることは好きだが、記録は伸びない。記録が伸びないことが自分の上に荷物としてのしかかってくる陸上を、楽しむことができなかった。競争から逃げていると言われれば、その通りなのかもしれなかった。競争するならまだ勉強のほうがマシだと思っていたし、大学の授業に手を抜く気は無かったので、同好会くらいがちょうどいいと、本当に安易な気持ちだった。
 所属したマラソン同好会は、想像していたよりは本格的な活動をしていた。人によってはフルマラソンを目指してトレーニングを続けている。元々が中距離ランナーだった私は五キロからのスタートだった。陸上という競技のいいところは個人競技という特色ゆえか体育会系色がやや弱いところだ。それなりに活動している同好会でも、無理に距離を勧められはしなかった。
 全員が揃っての新入生歓迎会は、部室棟の屋上で行われた。毎年恒例と説明を受ける。お酒を飲めない部員はノンアルコールカクテルが配られる。ビニールシートの上に座ってちびちびとアルコールの入っていない梅酒(要するに梅ジュース)に口をつけていると、一人の先輩に目が止まった。にこやかに笑っているのに、つくりものじみている人だった。彼の隣に座っているのは同好会の部長(同好会でも部長と呼ぶ)で、早くも酔っぱらって大きな声で名前を呼んでいた。だから私は自己紹介が始まる前から名前を覚えることができた。ヒルマ、という名だった。漢字で蛭間と書くと知ったのは自己紹介の後だ。その会で彼と直接話す機会は訪れず、私は周囲の女性部員たちとランニングシューズやスポーツショップの話ばかりしていた。それは楽しかったし、蛭間という先輩のこともしばらくは頭から追い出されていた。
 部室棟の一室(同好会でも部室と呼んでいる)で同じ学年の友人に出くわしてしまったのが、きっかけだった。ぼろぼろと涙を流す彼女に最初ぎょっとしたが、コンタクトがずれて痛いのだと言われ少しほっとした。彼女は蛭間先輩から講義のノートを借り、次の時間までに返すと約束したのだという。こんな調子じゃ返しに行けないと小さな鏡と格闘している彼女にトイレの大きな鏡の前へ行くことを促し、ノートを受け取ったのが運の尽きだった。蛭間は普段部室棟の地下にあるプログラミング同好会という訳の分からない部室でパソコンに向かっているのだと聞かされ、少し面倒に思ったけれど断る理由にはならないと思ったのだ。
 そもそも部室棟に地下があること自体驚きだった。そこは他の場所よりあきらかにひんやりとしていて、確かにパソコンにとってはいい環境かもしれなかったが人が長く過ごす場所とは思えない。ただ地下と言っても半地下程度で入口も広く、上部から明かり取りの窓も設置されていたのでおかしな雰囲気はあまりなかった。おかしな雰囲気だったのはむしろ、ノックした後に現れた蛭間のほうだった。目を細めて、誰だコイツ、と言わんばかりの顔をした。
「マラソン同好会で一年の中町です。ノート、頼まれて届けに来ました」
 差し出したノートを見て「ああ」とようやく思い当たった顔をした彼に、もしかしたらノートを貸した彼女に会いたかったのかもしれないと不機嫌の理由に見当をつけ、「失礼しました」と一礼して歩き出そうとすると手首をつかまれた。振り返り、マラソン同好会で見せない表情のない顔に怖くなり手を振りほどこうとするがびくともしない。それなりに走れる人なのだと知っていた、やはり男の腕力には敵わない。
「同類だろ、怖がるなよ」
 何よりその一言に心底ぞっとした。勝手に見透かすなと言っては終わりな気がして黙り込んだ。マラソン同好会に入ったことから間違いだったのかもしれないと思うほどに嫌な予感がした。
「入るか? 今、俺一人だけど」
 必死に首を横に振るしかなかった。手の力が緩んだのをきっかけに勢いで三歩後ずさる。
「また遊びに来なよ。まさかこんなに早く君が釣れると思わなかった」
 返事はせずに階段を駆け上った。心臓の音が聞こえるほどで、嫌な汗をかいている。だけど、逃がしてもらえる気はしなかった。






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