十七歳

 家にある日突然叔父さんがやってきた。
 母と、母の弟である叔父は歳が十離れている。叔父さんは私が物心のつく頃…小学校に入る前にはもう日本にはいなかった。私と叔父さんの年の差は十七歳だから彼は三十歳をとうに過ぎている。私たちの前に姿を現した叔父さんに対し、母は真っ先に彼の頭をひっぱたいた。私は母にそのようなことをされた経験がない。驚いて母を見上げた私の目の前で、父が母の肩に手を置いて「落ち着け」と固い声を出した。叔父さんは黙ったまま私たちに頭を下げていた。
 叔父さんは国を出て以来、一度も日本に帰ってきていない。つまり彼の両親…私の祖父と祖母が事故で死んでしまった時にも戻ってきていない。しかしどうやら祖父と祖母は、時折帰りもしない叔父さんにせがまれて援助を送っていたらしい。私は話の途中で自分の部屋へ行くよう母に言われてしまったので、詳しいところまでは聞くことができなかった。その時には。

 彼は「色々な貧しい国で井戸を作ったり学校を作ったりする仕事をしていた、どうしても資金が足りない時両親に電話や手紙で援助を依頼した」と何故か私に弁解した。
「そんな一時的な肉親の援助で何かを成し遂げても、結局は一時的な解決にしかならないんじゃないの?」
 なんとはなしに四つ葉のクローバーを探しながら私は叔父さんにそう突きつけた。母の悲しげな顔が思い浮かんで離れなかった。叔父さんは一瞬驚いた顔をして、それから困ったように笑った。
「その通りだ。だから、日本に帰ってきた」
 叔父さんは今母が言うところの「比較的まともな途上国援助組織」で働いている。叔父さん本人は「頭を下げまくって寄付金くださいとお願いする仕事」と私に説明した。半年経ったら、国を出て現地で働く。その繰り返しだそうだ。
「気づくの遅くない?」
「そうだな。せめて父さんと母さんが死んだ時に気づくべきだった」
 二人のお葬式に出席できなかったのは、当時滞在していた国の情勢が悪化して空港が閉鎖されたからだと叔父さんは母に言った。母は「お葬式に間に合うように来いと言ったわけじゃないわ」とさらに悲しそうな顔をしていた。
「奈緒は姉さんと同じで頭がいいな」
 叔父さんは下校しようとする私を校門の少し向こう側で待っていた。週に一回程度の休みはたいてい平日なのだと言う。私は叔父さんを学校にほど近い広い公園に案内した。十メートルほど先では親子がソフトバレーボールで遊んでいる。
「そう? 私より頭のいい人なんていくらでも出会ったことがあるでしょう?」
 クローバーを見つめていると、叔父さんはベンチから立ち上がって私の隣にしゃがみ込んだ。四つ葉を諦めた私の横で、叔父さんはシロツメクサを摘み始めた。
「いや、俺に対してそこまで率直に何かを言ってくれる人は日本にはいなかった。父さんは良く叱ってくれたけど、姉さんと歳が離れてる俺にどこか甘かった。俺が海外で行った場所では皆率直に…時には我が儘に物を言った。年齢なんて関係がなかった。そっちの方が俺には自然に思えたし馴染めた。だから日本に帰りたくなくて…結局は逃げてたんだな」
 頭がいいのと率直な物言いは関係がないと思ったけれど、私は口にしなかった。叔父さんの手が花冠を作り始めたからだ。しかも手際がいい。
「花冠、よく作ったの?」
「ああ、その国にたくさん咲いている花で作る。小さい女の子は喜ぶよ。どの国でも」
 日に焼けた、傷跡のたくさんある手がせっせと花を紡ぐ。叔父さんは出来上がった花冠を私の頭に乗せた。
「すぐに、枯れてしまうのに?」
「たとえひとときの夢でも、笑顔が見たいんだ。心を近づけることができる」
 叔父さんは私に手を伸ばした。両手で私の頬を包む。
「俺は引き取られた子で、父さんと母さんの本当の子じゃない。遠い親戚の子だ。父さんも母さんも、もちろん姉さんも俺のこと大事にしてくれて、本物の家族と同じように接してくれた。けど、俺は昔から日本不適応児童で、苦労ばかりかけた。姉さんが結婚して奈緒が生まれて、俺は日本を出た。俺のことなんて忘れて暮らしてくれればいいと思った。その癖、現地で金の調達に行き詰まると電話した。誓って自分のために使ったことはない…でも、姉さんが怒るのは無理ないな」
「分かってるならお母さんにもう少しちゃんと謝れば?」
 叔父さんは情けない顔をして下を向いた。私は叔父さんの手を握って、額に口付けする。彼は顔を上げて目を瞬かせていた。唇も奪ってしまいたいと思ったけれど下手をすれば叔父さんが警察に捕まってしまうのでやめておく。ああ、私はこんなふらふらした男の人なんて全然好みじゃないはずなのに、この人が可愛くて仕方がない。不器用で純粋で行動力があるのに馬鹿な人。そう思うことは傲慢かもしれない。でもきっとこの人も若い頃は傲慢だっただろう。

 花冠がしおれてしまったら、ちゃんと土に還るよう埋めてあげようと心に決めた。






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