反抗同盟(1)




 春の雨は激しく降り注ぎ、やむ気配はない。空は暗く、五月という季節を忘れそうだった。軒先で雨宿り、とくれば同じ場所に入ってくる男性と、などと期待するシチュエーションかもしれないが、皆瀬誓みなせちかはどこか諦めに似た心持ちでそこに立っていた。
 やがて傘を持って現れたのは予想通りの人物で、彼は皆瀬の目の前に立つと愛用している紺色の重い大きな傘を黙ったまま突き出した。濃いグレーの長袖Tシャツに覆われた体は細く、風が吹いたら傘を飛ばされてしまうのではないかと思うアンバランスさだった。大きな傘の甲斐なくジーンズは膝から下を濡らしている。動こうとしない皆瀬に、彼はさらに傘を突き出した。背中が濡れそうだ、と思った。
「唇が紫だけど?」
 素直でない気遣いは彼らしく、同時にひどく皆瀬の心を波立たせた。
「だって寒い」
「傘に入ったら?」
「この雨の中歩きたくない」
「家に来ればシャワー貸すけど?」
 そんなことは知っていた。
「その後何にもしないって約束する?」
「いつも誘ってくるのはそっちの癖に」
 それは事実だった。
「私の誘いになんて負けんなって言ってんの」
「我がままもここまで来ると天晴れだね。土砂降りだけど」
「洒落なんて聞きたくない」
 由利出水ゆりいずみは、眉を寄せため息をついた。傘を畳んで皆瀬の隣に並ぶ。
「健康な男子学生にとって好意的な女の子の誘いは断れないもんだよ」
 同性愛者の男子学生は健康な男子学生に該当するのかしら、というつぶやきは目の前を小走りで通り過ぎてゆく女子学生の水音に掻き消された。



 由利とは二年次に所属が義務づけられている週に一時間のプレゼミで出会った。プレゼミは教授を選べずランダムに割り振られるから、話し合いの内容も毎週変わるし、学生の興味もそれぞれだった。興味がジェンダーに偏っている、細身でやや整った顔立ちの男性学生。秋に飲み会が行われるまで皆瀬にとって由利への認識はその程度しかなかった。だが、飲み会の席、突然由利が同性愛者であることをカミングアウトしてからは、さすがに強い印象を抱かざるを得なかった。次の週に集まった際、ゼミ終了後由利は皆瀬に話しかけてきた。
「皆瀬さん、ちょっと一緒にケーキでも食べない?」
 ふ、と周囲の視線が集中したのが分かった。これで先週の件がなければナンパという意味合いを疑われたのだろうけれど、それがないのは楽と言えば楽だな、と考えながら皆瀬は首をかしげた。
「ケーキよりカフェのホットドッグがいい」
 駅前に最近できたカフェのミートソースがかかったホットドッグが皆瀬のお気に入りだった。すると由利は屈託のない笑顔を見せた。
「僕はカフェならケーキを頼むけどね、ホットドッグのある店でいいよ」

 二階にあるカフェにはテラスがあり、季候が良かったこともあり二人テラス席で向かい合った。皆瀬の目の前にはホットドッグが、由利の目の前にはメープルシロップと生クリームが乗ったホットケーキが置かれていた。
「何で私を誘ったの?」
 どうしても口の周りに付いてしまうミートソースを指で拭って舐めながらそう尋ねると、上品にパンケーキを口に運んでいた由利は手を止めた。
「こんな学部に来たからきっともうすこし理解のある人間が多いと思ってたのに、案外そうでもなくてちょっとがっかりしてたんだ。女の子は結構僕のこと気持ち悪がってたよね。男は男で妙によそよそしいし。そんなに見境なく惚れたりしないから大丈夫なんだけどなあ」
「んーそうねえー。でもこんな学部にいても実際周りに同性愛者が居た経験がある人なんて少ないんじゃない? みんなその内慣れるわよ」
「そうかな…ていうかさ、皆瀬さんは周りに同性愛者が居たの?」
「私が好きになるのは男だし、周りにそういう人も居ないなあ。でも去年授業の宿題でその辺の勉強もしたしルポも読んだし」
「皆瀬さんって結構男っぽいよね。見た目は女性的なのに」
 その日の皆瀬は膝丈のデニムスカートに黒の柄入り加圧ロングソックス、胸元に切り込みのあるポロシャツを着ていた。
「昔はスカートなんて履いたことなかったよ。でも女性はやっぱり女性らしくしておいたほうが世の中的に楽だから。由利君は女性の格好をしたいと思う人なの?」
 ジーンズにTシャツの由利もやや細身である以外は見た目普通の男性と何ら変わりはなかった。
「いや、僕は性同一性障害ではないから。ただ好きになるのが男ってだけ」
「そう。で、結局何で私を誘ったんだっけ?」
「カミングアウトしても普通に接してくれそうだったから。ゼミに友達が居ないって不便だし」
「ふーん。不便かな…まあ、持ちつ持たれつだったらいいけど」
「また一緒にこういうところ付き合ってよ。男が一人でこういう店って結構目立つんだ。ケーキ食べんのも一苦労だよ」
「高校の頃ケーキバイキングに行く友達の誘いとか全部断ってたけど、男は男で大変なのね。まあ、甘くないものがある店なら付き合ってもいいよ」
「こういう店ってたいていサンドイッチとかも置いてあるから大丈夫だよ。これで目黒の美術館のカフェにも行けるな、助かるよ」
 ケーキのために目黒まで行くのかよ、と皆瀬が突っ込むと、当然だよ、と由利は笑った。そうして、皆瀬と由利との友人関係が始まった。









COPYRIGHT (C) 2009 国里有簾. ALL RIGHTS RESERVED.