反抗同盟(3)




 その年の卒業式は昼前頃から雪が降りはじめた。スーツ姿の田島は最近付き合いだしたという袴姿の先輩と腕を組んで後輩から写真を撮られていた。四年次は授業が少ないため田島と会うのは久しぶりだったが、皆瀬は少し離れた位置から見るだけで話しかけなかった。田島の卒業は寂しくとも、楽しそうなカップルを偽りのない笑顔で見送れるほど人間が出来ていない自覚があった。
 バスケサークルの面々は体育館の前に並び、袴の裾を気にしながらブーツでうっすらと積もる雪を踏みしめ去っていく先輩達を送り出した。新三年次の人間で新入生勧誘活動の打ち合わせをしてから大学を出ると、皆瀬の携帯電話が鳴った。由利からだった。皆瀬は新三年同期の女子二名と歩いているところだった。
「皆瀬」
 由利が皆瀬のことを呼び捨てにするのは初めてだった。唇からは「え?」という言葉だけが漏れた。
「皆瀬、傘がない。迎えに来て」
「傘がないって…どこにいるのよ?」
「駅。改札の前」
「分かったわ。行くから待ってて」
 その頃にはもう皆瀬にとって由利は気の置けない友人の一人にカテゴライズされていたが、突然呼び出されるのは初めてだった。バスケサークルの二人から一緒に大学東門前のマックで暖まろうと誘われたが、友達に呼び出されたからごめん、と手を振って駅の方向へ向かった。女友達に田島の話を聞いてもらいたい気持ちもなくはなかったが、今一番気持ちを共有できるのは電話してきた男だろうという気持ちが強かった。
 皆瀬が愛用しているのは薄いオレンジ色の傘だった。朝の天気予報をチェックして持って来たそれは軽量設計だが、それでも傘布に積もっていけば重く感じる。田島に会えるからとロングブーツに膝丈スカートを選んだ皆瀬は駅にたどり着く頃その服装を後悔していた。ボタンをきっちりと留めたコートの前をかき合わせるが寒さは足元からじわじわと染み込んでくる。手袋とマフラーは正解だったと思いながら視線を上げると、目の前に由利が立っていた。
「皆瀬、廃線見に行こう」
 どこで待っていたのか由利の髪には雪がまぶされて白くなっていた。肩にも、斜めがけされたバッグにも雪が積もっている。皆瀬は由利の頭上まで傘を近づけた。自然と顔の距離も近付く。意味不明の発言は無視することにした。
「どうして、屋根のあるところで待ってないのよ?」
「あんまり知られてないけどさ、電車で一時間くらいの駅から二十分歩くと廃線があるんだ。線路の一部しか残ってないけど」
 今の由利にこちらからの質問は受け付けてもらえないと悟った皆瀬は仕方なく返事をした。
「この雪の中を? せめて晴れた日にしない? 二十分も歩いたら転びそうなんだけど」
「じゃあいったん僕の家に行こう。ジーンズとブーツ貸すから」
 由利は皆瀬より身長、足のサイズ共に少し大きい程度だった。実際借りるかどうかは別として、一人暮らしをしているという由利の部屋ならば落ち着けるし暖まることもできるだろうと、皆瀬はすぐに頷いた。


 由利が住んでいるのはありふれたデザインの二階建てアパートだった。階段で二階に上がり、廊下ほぼ中央のドアの前で由利は鍵を開けた。部屋の中もごく普通のワンルームで、手前にキッチン、左の隅にベッド、右の隅にテレビ、そして真ん中にはこたつが置かれていた。東向きと思われる窓の向こうには小さなベランダがあり、柵に雪が積もっているのがガラス越しに見えた。
 ブーツを玄関の端に揃えて小さく「おじゃまします」とつぶやくと、由利は「いらっしゃい」と返事をした。返事があるとは思っていなかった皆瀬が笑ってしまうと、由利も唇の端だけで笑った。今日初めて表情が変わったな、と皆瀬は思った。
 由利はエアコンのリモコンを操作してからベッドの上に座り身を投げるように上半身を倒した。
「皆瀬、田島先輩が女と付き合いだした」
 予想はしていたがやはり原因はそこなのかと皆瀬は目を閉じた。
「私だったらどうする?」
「残念ながら今日卒業式を迎えた女性だよ」
「知ってるわ。ウチのサークルの先輩だもん」
「皆瀬がのろのろしてるから取られるんだよ」
「私になら取られてもいいってこと?」
「あー…どうだろ…やっぱり嫌かな。恨めない方が辛い」
「なんだ。じゃあどっちでも一緒じゃない」
「ねえ皆瀬、どうして男ってだけで駄目なのかな」
 由利は天井を向いたまま両腕で目を隠した。ああ、こいつは私よりずっと田島先輩に本気だったんだ、と皆瀬は後ろめたさにちくりと刺された。皆瀬の田島に対する気持ちは淡い憧れに近かった。
「そんなの田島先輩に聞いてよ。ついでにどうして私じゃ駄目なのかも聞いといて」
「皆瀬は告白してないじゃん」
「アンタ告白したの?」
「したよ。もうずっと前に」
 皆瀬はそれを知らなかったことに軽い衝撃を受けた。例えば自分が田島に告白したとしてそれを由利に打ち明けられるかは難しいところだと理解はしていたが、それでも由利が告白を明かしてくれなかったという事実が悔しかった。私田島先輩に負けた、と口の中だけでつぶやいた。
「ねえ、泣いてるの?」
 皆瀬はベッドの隣のスペースに座って由利をのぞき込んだ。片手を着いて覆い被さるような姿勢を取る。
「泣いてるよ。皆瀬は泣かないんだ?」
 腕をベッドの上に戻した由利の顔はひどかった。袖に吸い取られたのか涙は瞳に浮かぶ程度だったが、顔色は青く目の下の隈が目立った。
「そんなに苦しんでも、男しか好きになれないの?」
「仕方がないんだよ、それが僕なんだから。でも皆瀬は好きだ。恋じゃないけど」
 恋じゃない、という言葉に胸の中の温かい何かが吸い取られていくような気がした。
「私と寝てみる?」
 皆瀬が放った言葉に由利は怪訝な顔をした。その表情は皆瀬の心にひっかき傷を与えた。それでもここはきっと黙って退くのが礼儀だと、ベッドに着いていた片手を引っ込めて上体を起こした。しばしの沈黙に自分の早い鼓動がうるさかった。振り切るように勢いを付け立ち上がると、皆瀬の片手がつかまれた。振り返れば、由利が上半身を横たえたままで手を伸ばしていた。
「僕、女性としたことないからできるかわかんないけど、いいの?」
 弱みにつけ込むというのはこういうことなんじゃないかという罪悪感が皆瀬の中に湧いたが、縋るような表情をしている由利の手を振り払うことはできそうになかった。
「試してみれば?」
 皆瀬はもういちど由利の上に覆い被さり今度はベッドに両手をついた。由利は両腕を伸ばして皆瀬の背中を引き寄せた。


 結果として、由利は皆瀬との行為を無事に終わらせることができた。由利は「自分が両刀使いとは知らなかった」と苦笑した。その顔色から青白さが抜けていることに皆瀬は安堵した。








COPYRIGHT (C) 2009国里有簾. ALL RIGHTS RESERVED.