反抗同盟(4)




 雪の日の後も、皆瀬は由利からたびたび甘いもの目当ての食事に誘われた。皆瀬もそれに応じたし、食事の後には由利の部屋へ行くこともあった。部屋では、皆瀬から誘って身体の関係を持った。由利は拒否しなかった。行為が出来なかったことはない。
 行為のためにその手のホテルに入ったこともあった。やっぱり女の子と一緒だと断られないな、という由利の言葉にひっかかったが皆瀬は詳しい事情を聞くことができなかった。男同士にはホテル側が困るような何かがあるのか、それともただの偏見からくる拒否なのか皆瀬には分からない。ただ、心の健全度としては感情を交わしている男同士の方が、自分たちよりもずっと上だと思った。
 そんな彼女彼氏でもなければ友人とも言い難い関係は、二人が四年次になってからも続いていた。雪の卒業式の日から、一年以上が経過していた。
 由利と皆瀬は三、四年で所属する本ゼミで同じ教授を選んだため、食事の他にも週に一度は顔を合わせていた。教授の専門はジェンダーとセクシュアリティで、ゼミ生の発表もジェンダーを扱ったものが多い。由利はそのゼミでも同性愛の傾向があると公言していたが、さすがにジェンダーを専門にする教授のゼミだけあり表立って由利をおかしな目で見る学生はいなかった。


 五月のその日、ゼミでは由利ではない男子学生が同性愛について発表を行った。その男子学生は発表の中に経済学の視点を取り入れ、生産性の向上のため同性愛者は可能であれば異性愛を試す必要があると主張した。人権を守るため「無理に」ではなく「可能であれば」というのがその男子学生の主張だった。もちろん由利は反対した。元々が少数である同性愛者がそんなことを試したところで果たして生産性に寄与するものか、というのが由利の反論だった。
 ゼミは意見が分かれたままで時間切れとなり、授業は終了となった。その後も教授と発表者と由利が教室で議論していたが、他の学生達は荷物をまとめて出て行った。皆瀬も議論に加わりたい気持ちが無いわけではなかったが、自分の中で結論が出ない内容だったため教室を後にした。ゼミ用の教室が集まっている四号棟を出ようとすると、雨が降り始めていた。学生達が出入り口を手前に立ち止まっている。皆瀬も他の学生達と同じく傘を持っていなかった。走り出すか留まるかを迷っていると、後ろから声をかけられた。
「皆瀬さん」
 振り返ると、同じゼミの男子学生が立っていた。あまり意見を言うことのない、ゼミの中では目立たない瀬戸という学生だった。何か忘れ物でもしたかと相手の反応を窺っていると、彼はチラリと廊下側へ視線を流した。
「皆瀬さんって、由利君と仲いいよね」
「まあ、二年からの腐れ縁だから」
「彼ちょっとさあ、気持ち悪くない? 皆瀬さん的に、男に興味がある男と一緒に居るのってどうなの?」
 皆瀬があからさまに怪訝な顔をすると、やや良心の咎めがあったのか瀬戸は目を逸らした。皆瀬は口まで出かかっていた『そんなことを言うアンタが気色悪い』という言葉を飲み込んだ。
「私はまったく気持ち悪いだなんて思わないけど?」
 皆瀬はそれだけ吐き出して四号棟を飛び出した。彼と同じ空気を吸うことすら遠慮したかった。


 降り出した雨は駅へ向かう途中で本降りになり、皆瀬は仕方が無く美容室の庇の前で雨宿りをした。チラリとガラス越しに中を覗くと、スタッフは一瞬こちらへ視線を送ったもののまた客の方へ向き直った。黙認してくれるのだろう。雨が激しく降り注いでくると、五月にしては肌寒かった気温がさらに下がり始めた。濡れた髪や服が体温を奪う。
 十分ほど経った頃、携帯電話がバイブレーションでメール着信を告げた。由利からだった。誰に聞いたのか皆瀬が傘なしで四号棟を出て行ったのを知っている様子だった。自分はサークル棟の部屋に置き傘があるから迎えに行く、という内容に、皆瀬は返事をしなかった。けれど、ここに由利が来るだろうことは分かっていた。由利は雪の日に迎えに行ったことを皆瀬が忘れた頃話題に出し、突然頭を下げたことがある。いつか皆瀬が傘に困ったら絶対に迎えに行くから、とも言っていた。そんな日はきっと来ないと皆瀬は彼に笑ったが、とうとう『そんな日』が来てしまった。
 案の定現れた由利と、結局皆瀬は一つ傘の下歩き出した。由利の『健康な男子学生』や『好意的な女の子』という発言について考えるが、雨の音と寒気が邪魔ををして上手く考えられなかった。
 黙ったまま二人で由利の部屋にたどり着くと、皆瀬は由利を押し倒した。由利は拒否しない。皆瀬を抱き留めて、湿った服を脱がせる。由利の体は皆瀬より温かかった。繋がった瞬間、皆瀬は泣きそうになった。今まで気付かないふりをしてきたけれど、由利が皆瀬を見る目はやはり『彼女』ではないのだと身に染みた。たとえ身体が『両刀使い』でも心は純粋な同性愛者なのだろう。


 しばらく服を身につけないままぼんやりとしていると、由利がベッドサイドに置いていた携帯を手に取りうつぶせになってテレビを見始めた。皆瀬は漏れる音でだいたいの番組は推測できたが一緒に見る気にはなれなかった。携帯電話という道具はコミュニケーションツールにもかかわらず、現実世界では他者とのコミュニケーションを遮断するツールでもあるな、と皆瀬は考えていた。
「皆瀬、田島先輩が女と別れた」
 由利は、こちらを見なかった。
「僕と、縒りを戻したいって」
 皆瀬は、由利の骨張った肩を見ていた。
「前に、付き合ってたってこと?」
「うん。だけど就職を機に女性と付き合いたいって言われて振られた。一年とちょっと前」
 由利は携帯の向こう側から話していた。皆瀬に彼を引き寄せる手段は無さそうだった。
「知らなかった」
「教えなかったからね」
「知りたかった」
 皆瀬は由利の白い背中に顔を押しつけた。涙を全部この男の背中に落としてしまいたいと思った。
「皆瀬のことは好きなんだ…でも、ごめん」
 由利の言葉が彼氏彼女でもない関係の、終わりの合図だった。








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