不適格な二人(2)




 結局自分は、鏡さえあればいいのだ。そう気づいた時、治美は半分失望した。もう半分は、安堵に近い気持ちだったかもしれない。けれど、あの変態に完全に嗜好を犯されてしまっていたのだという諦めに近い失望が、心に落ちたことは確かだった。
 最初に鏡のある部屋で試したいと誘われた時、断らなかったのは分かりやすい交換条件を相手が示したからだった。制服を持って来て欲しい、という。
 高須賀は治美の目を見ない。当たり前のことで、顔を見てしまえば服装とのアンバランスは否定しようもないだろう。治美は高校生の頃実際に着ていた制服を身にまとっていた。体型がほとんど変わっていないことは幸いだった。ブラウスは全てボタンが外れ、スカートはまくれ上がっていたけれど、脱ぐつもりはないし彼も脱がそうとしない。
 行為の度に汚れるスカートはクリーニングに出している。高須賀はクリーニング代を出すと言ったが断った。代わりにホテルの代金は彼が持っている。
 鏡の向こうに、治美は自分ではない誰かを見ていた。だから高須賀だけでなく治美自身も自分の顔を見ない。欲にとらわれた高須賀の表情は好きだった。自分は制服を着た少女しか愛せないのかもしれないという罪悪感と、どうにかして自分の欲を昇華させたいという本能が、入り交じった表情。彼に体をまさぐられる行為は感覚に水を差すことがなく、むしろ高めた。
 天井に張られた悪趣味とも言える鏡を眺める。果てた後に見る自分の姿はひどく滑稽だった。だから治美は終わった後早々に服を脱ぐ。奇妙な矛盾を感じながら。その日も制服を脱いで、シーツの中に潜り込んだ。いつもすぐにシャワーを浴びに行く高須賀は、しかしベッドの中に入り込んで治美を抱き寄せた。
「何? どうかした?」
「どうもしねえけど。ちょっと人肌が欲しい」
「また制服着ないと駄目?」
「いや、いい」
「ああ、そう。ま、目を閉じてれば見えないしね」
 せっかくなので自分も人肌で満たしてもらおうと治美は胸に頬を寄せてしがみついた。高校まで水泳部で「ガシガシ泳いでいた」と言う高須賀は今でも週に一度は泳いでいるらしく、体に無駄がなかった。滑らかだな、と考えながら指で肌をなぞっていると、突然両腕で引き離された。
「やめよう」
 真剣な表情に、一体何が気に食わなかったのかと治美は首を傾げた。
「もう、こんなことはやめよう。小塚お前そうやって平気な声でさっぱりしたことばっかり言う癖に、俺が抱くたんびに表情が暗くなってんの気づいてるか?」
「私に自覚はないけど。気のせいじゃない?」
 何の感情も混じらない声になったはずだと治美は思ったけれど、高須賀はまるで叩かれたかのように表情を崩した。
「済まなかった。お前を巻き込むべきじゃなかった」
 高須賀はベッドから出て服を身につけると、まだぼんやりと彼を見上げるだけの治美に唇を押しつけた。口付けをするのは初めてだった。
「今まで、ありがとな」
 両手で治美の頬を挟み額同士を押しつけてから、高須賀は勢いよく体を離し、そのまま部屋を出て行った。振り返ることもなく。
 一人部屋に残された治美は鏡に映った自分が見えないように目を腕で覆った。こんな歳になって泣いている自分など見たくはない。自分のくだらない性的嗜好と、もう高須賀とは会えないのだろうという事実が部屋の中に重く沈んでいた。高須賀への執着が恋なのかどうか、こうなってもまだ治美には分からないままだった。






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