常緑樹の庭(4)




 それから毎日、放課後実乃理は仲舘の兄の所有するその一軒家へ通い詰めた。外見に惹かれていた家ではあるが、室内の空間も実乃理にとっては魅力的だった。兄弟とはいえよく自由に使わせてもらえると思ったが、パソコン関係のメンテナンスをすべて引き受けるという条件で鍵を借りているという説明に納得がいった。仲舘に部活はないのか、と問うと学校のパソコンの入れ替え作業で部活ができない状況なのだという返事が返ってきた。やっぱり文化部系は運動部よりのんびりしている、と実乃理は思った。
 仲舘はあの日実乃理の目の前で使っていたネットブックを「ホームページ関係以外では絶対使うな」という約束で使わせてくれた。有線ではあるがLANでネットワークにも繋がっている。仲舘が最初に実乃理に手渡したのは「三時間で作るホームページ」というサイトをプリントアウトしたもので、ウェブサイトの定義からファイル構成、リンクの意味を大まかにつかむことができた。パソコン部の活動が始まってからは週に三日放課後が使えなくなってしまったが、やがて夏休みに入ると仲舘は昼間なら毎日来て構わないと言った。彼の兄は仕事でお盆以外休みなど皆無だという。
 実乃理は母親に「図書館で本を読むか勉強している」と言い訳して一軒家でHTMLにかじりついた。仲舘は自分の持っているウェブサイト関係の参考書を順々に差し出すようになった。
 「タグ辞典」から始まった実乃理の参考書は次に「CSSの基礎知識」になり、やがて「ウェブデザインの定石」になっていった。実乃理は参考書を読みながら、実際に作りたいと思っていたものを少しずつ形作っていった。もちろん高いホームページ作成ソフトなど買うことができないので、仲舘がネットブックに入れてくれたフリーのテキスト編集ソフトで、最初に<hr>から教えられた「タグ」を打ち込んだ。実乃理は自分で操る文字たちが一つの画面を形作ってゆくのが面白く、ウェブデザインという世界に没頭していった。
 その頃になると何故仲舘がそこまでホームページのことに詳しいのかと疑問に思うことができるくらいには実乃理にも知識がついていた。素直に尋ねると「学校のパソコン部のホームページ作ってるから。周りが趣味で作ってるようなのばっかりだから自然とね」という言葉が返ってきてさすがマニア部、と頭の中でだけつぶやいておいた。
 八月の一週目には、もう実乃理が最初に思い描いていたような「ホームページ」が八割方出来上がった。細かいデザインの調整をするためテキスト編集ソフトを開いていじっていると、仲舘が後ろからのぞき込んできた。部屋にはクーラーが効いていて冷え性の実乃理は氷の入った飲み物を飲む気にならないが、仲舘は氷を沢山入れたサイダーのグラスを持ってゴクゴクと飲んでいた。一方実乃理は家から麦茶入りの水筒を持参している。先生をしてもらう上に家の飲み物までもらうのではあまりにも図々しいと思っていたからだ。
「小説の中に出てくる食事を再現、ねえ…そういうのが、面白いの?」
「うん、元々したいのはこれであって、ホームページは発表の手段だから」
「女子高生とも思えないセリフだね。ホントに覚えるの早かったなあ。吉岡さんウェブデザイン関係ならもうパソコン部も顔負けだと思うよ。センスもあるし、写真も綺麗に撮れるし」
「うん、なんかね、仲舘君にきっかけもらって良かった。私教えてもらうまでホームページが言葉で作られてるなんて思わなかったから」
「いや、だからパソコンそのものが言語から成り立ってるんだって。ゼロとイチで作られた言語だけど」
「うーん、まだ私はそういうの今ひとつピンと来ないけど…」
「吉岡さんの理解の仕方が俺には理解できないよ。必要な時はものすごい集中してたくさん吸収するのに、必要ないかなと思った事柄は見なかったことにするし」
「…そんなこと、無いもん」
「うわ、今度はそこを全否定か」
「ね、それより庭から写真撮らせてくれるんでしょう? このページにデザインとして組み込みたいんだけどなー」
「ああ、そういやあそんなこと言ってたね。うーんはっきりここの家って分かるような場所はマズイんだよな…」
「窓と屋根と空が撮りたいなー。あ、あと写真の加工も勉強したいんだけど、どのソフト使ったらいいと思う?」
「吉岡さんさっき俺が言った言葉聞いてた?」
「聞いてたよ。心配なら撮った後使ったら駄目そうなの消去してもいいから」
「ああ、それならいいかな」
 実乃理はUSBメモリからデジカメ付属のソフトで縮小したカレーの画像ファイルを取り出し、imgと名前付けしたフォルダに移動した。ページに画像のリンクを打ち込み、表示させる。
「カレーね…カレーなんて小説に出てくんの?」
「野外学習する小学生のお話に出てくるの。根菜類とお肉を全部サラダ油で炒めて、水を注いで作るカレー」
「ふーん。ていうかさ、吉岡さんて料理なんかできんの?」
「うっわ失礼。週に一回は夕飯作ってるから私」
「へー。じゃ今度ここで何か作ってよ」
 う、と実乃理は言葉に詰まった。
「ごめん、実は家族以外の人に食べていただけるほど上手じゃありません」
「でも家族には作ってるんだ。偉いよね。何で?」
「母親が私の学費のためにパートに出てくれたから」
「あ、そうなんだ。でも偉いよ、学費なんて出してもらって当然みたいな人間も多いだろ」
「まあ、そうだけどさ。私国立文系の予定だったのに私立文系にするつもりだから」
「俺なんか一番金のかかる私立理系だよ。でも兄貴ももう独立してるし、学費の心配なんかしたことないな…やっぱり偉いよ」
「そうかな…」
 予想外に褒められ、実乃理は頬が緩んでしまうのを隠すために口に手を当てた。仲舘君ちょっといいな、という気持ちになってしまった自分を抑えるためでもあった。
 その後、実乃理は庭へ出て一軒家の写真を何枚か撮らせてもらった。仲舘の審査をくぐり抜けたものの中から、実乃理は屋根と常緑樹と青い空の写った一枚を、サイトのトップに使うことに決めた。








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