彼女の背中 (3)




 進藤から呼び出しのメールが届いた。互いに第一志望の受験日が同じであることは知っていたから、もしかしたらと期待はあった。文面を見た菅原は無意識に片手でガッツポーズを作り、そんな自分に溜息をつきたくなった。この一年弱、進藤に振り回された自覚がある。ただ、彼女も真っ当な受験生であったから、振り回されたと言ってもせいぜい月に一回呼び出しのメールが届くくらい、しかも年が明けてからは初詣以来一度も二人で会ってはいなかった。せいぜい予備校で顔を合わせて手を振る程度だ。
 回数は多くないが逢瀬の度に繰り返される性行為が逆に息抜きになっていたのか、菅原の成績は順調に上り調子で、現在のところ「滑り止め」と位置づけている大学に合格している。一方の進藤ははっきりと口にしないものの今ひとつ伸び悩んでいた様子だった。まさか俺の所為か、と口にしたらすました顔で「馬鹿じゃないの」と一蹴された。
 待ち合わせの場所に現れた進藤はあきらかに痩せていた。キャメル色のダッフルコートを着込んでいても分かる変化にどうしたのかと尋ねると、第一志望の受験日一週間前にインフルエンザに罹り、タミフルを飲んで受験はできたものの直前の追い込みはほとんどできなかったと言った。私立に合格してるから大学生にはなるわ、と小さくつぶやく声も覇気がない。
 心ここにあらずの進藤をホテルに誘っても特に拒否されることはなく、菅原はいつの間にか自分の中に隠れていた「宙ぶらりん」という感覚がすっぽり二人を包んでいることに気付いた。受験は終わった、結果は分からず、高校生だけれど学校はない、もちろん大学生でもない、そんな時間。このホテルに入る資金源も「お年玉」という情け無さ。大学に入ったら細々とでも構わないからアルバイトをしようと菅原は心に決めてはいるがそれすらまだ何ヶ月か先の話になるだろう。
 ロングブーツを放り投げてベッドの上に座り込んだ進藤はぼんやりと菅原を見上げた。ふと初詣の時一緒に入ったネットカフェで思わず二人見入ってしまったテレビのドキュメント番組を思い出した。生きることに必死の彼らに比べ、自分たちは格段に守られている。明日死んでしまう確率はかなり低い。それなのにどうしてここまで社会に放り投げられた感覚が付きまとうのだろうと菅原は首を傾げた。
「菅原…お母さん、お父さんと別れるって」
 静かに告げられた言葉は菅原にある意味で納得をもたらした。彼女を包む倦怠感がインフルエンザの為だけではなかったという意味合いで。
「そうか、残念だったな」
「全然。清々するわ。学費は無理矢理にでも払わせてやるし」
 確かにほっとしている部分はあるのだろう、進藤は以前のように無理な力が入っている印象がなかった。けれど同時に悲しみに近い感情を消しきれていない。菅原は靴を脱いでベッドに上がり、彼女の前に膝を着くとできる限り優しく背に手を回した。
「じゃあ、もう復讐する理由はなくなったんだな」
 進藤は腰に手を回してしがみついてきた。菅原は少し泣いているのかもしれないと思ったが、コンタクトをしている彼女は自分のセーターに顔を埋めているので表情までは見えなかった。
「そうだね」
「俺と付き合わないか、進藤」
「やだ」
 予想はついていたのだが、だだっ子のような声に菅原から苦笑と溜息が漏れた。
「だって、裏切られた時、切り取っちゃうかもしれないわよ」
 何を、とは言わなかったのに具体的な想像がついてしまい菅原は身を固くした。すると今度は進藤がふふ、と笑って顔を上げる。
「冗談よ。ただ、付き合うってなんか怖いの。でもこれからは今より頻繁に呼び出すから、菅原は他の女の子と付き合っちゃ駄目」
「無茶苦茶だな」
 頭に手を当てて空を仰ぐが、きっと呼び出されれば喜び勇んで出かけてしまうのだろうと予想もつくのでどうしようもない。

 タートルネックのセーターを脱がせると以前より細くなった腰が露わになった。菅原としてはもう少し柔らかくてもいいくらいだと思っているが、尖った膨らみとやや病的な細さの対比が艶めかしく、弱った進藤と肌を合わせるという行為にも興奮を覚えた。
 真っ白な肌を軽く口に含みながら胸の重みを手のひらに包む。下着を持ち上げて零れた先端を食べると「う、あ」と喉の辺りから小さな声が聞こえた。
 初詣の日携帯電話で撮った彼女の横顔を何度開いたか分からない。言えば「馬鹿ね」と笑われるので口にはしないが受験のため会いたいという気持ちを抑えこんで我慢してきたことは事実だ。菅原が彼女の呼び出しに応えるのは肉体だけが理由ではない、けれど体の欲がそれなりに大きな要因であることもまた確かだった。こんなことで存在を引き留めようだなんて年齢相応ではないし、浅はかで単純なのかもしれないと菅原の頭を過ぎったが、彼女の温かさを実感することで体にのしかかっていた何かが軽くなっていくのを否定したくはなかった。
 焦点の合っていない彼女の視点を引き寄せたくて目を合わせ、そのまま繰り返しキスをする。太腿に手を這わせながら膝裏を押し上げ、とろとろと濡れている箇所に指を挿入すると「ん」と熱っぽい声が漏れた。
 性器をすべて収めた後、汗ばんだ首筋に額を寄せて体を揺するとぎゅっと抱き込まれた。濡れてうねる彼女の中は怖ろしいほど良く、まともな思考なんてものは既に働いていない。菅原の意識は空白に取って代わられていった。

 うつらうつらとした意識が戻ってきたのはタイムリミット二十分前で、そろそろ服を身につけなればと思いつつ背中から抱き込んだ進藤の温もりは離れがたかった。夏のしっとり濡れた肌の感触も良かったが寒い時期は寒い時期で手放しがたいなどと浮かされた思考で菅原は彼女の背にそっと口付ける。きっとこの先も、この背中を求めてしまうのだろう。捕まえられるのは、いつになるか分からない。ただ、これだけ恵まれた環境にいるのだから、一度はこの手に触れるまでそれなりに努力してみようと菅原は目を閉じて考えていた。






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