鎖骨と吐息(1)




 スカートは短くしすぎない。寒いし、覗かれたくないし、はっきり言ってそんなに男受けがいいわけでもない。スカート短くして化粧に余念がない同級生達を見る度に思うのは、あんた方が憧れてる男子生徒は残念ながらそういう女の子好みじゃないみたいよ、という言葉だが口には出さない。毒は甘いお菓子に包んでこそ効果があるのだ。
 勉強にも部活にも手を抜かず、体調管理を怠らず、清潔さを心がけ、身につけるのなら石鹸のように清潔な香り。別に皆が憧れるような男子生徒に好かれたいわけでもないが、どうせ目指すのであればそういう女の子を目指したい。そういう女の子の方が、自分が見ていて好きだから。佐緒里はそう考えていた。そしてそれは男子生徒に対しても同じで、清潔さやスタンダードな佇まいが好みである、自分自身でそう思い込んでいた。

 部活の大会で朝いつもよりずっと早く「行ってきます」と玄関を出た佐緒里は、目の前に立つ新聞配達の男…と言うよりは男の子に目を丸くした。最初は玄関を出た途端に誰かが現れて驚いた為だったが、徐々に驚きの質が変わっていく。どこかで見た記憶があると思った彼が、徐々にクラスメイトの男の子と重なっていったからだ。
「高峰くん?」
 彼は黒い前髪を目線ギリギリまで伸ばし体に合わないだぶだぶとした制服を着て学校へやってくる、女子生徒に「ちょっと気持ち悪い」と避けられているような男子だった。ただし今の彼は前髪をピンで留めて額を見せ、体の大きさにあったTシャツを着ている。それだけで、普段から印象を変えていた。佐緒里としては避ける必要もないけれど仲良くなりたくない部類の男の子だった高峰だが、よく見ればそばかすの上にある瞳は大きくてまつげが長く、イケメンとまではいかないものの「ちょっとかわいいかも」と思うくらいの容姿だった。
「そうだけど?」
 目を逸らし、ぶっきらぼうに答える声はいつもの高峰だった。
「新聞配達なんて、してるんだ」
「中学の時親が交通事故で死んだ。これ以上言う気は無い。俺は仕事だから、これ」
 高峰は新聞をぐいと差し出して、佐緒里に新聞を押しつけると走ってその場を去ってしまった。ふと我に返った佐緒里は新聞を家のポストに放り込み、駅までの道を走り始めたのだった。

 佐緒里には弟が二人居る。そのせいかは分からないが、物心ついた頃から早く働いて独り立ちしなければという気持ちが強かった。大学へは行くつもりだったが、浪人は避けたいと思っている。だから既に独り立ちしている高峰が気になるのは当然と言えば当然だった。相変わらず高峰は学校で女子生徒から避けられている。前髪が長すぎて目が半分隠れている。ワイシャツが大きすぎて本来の体型が良く分からない。実は結構筋肉がついていた気がする、と考えたところで自分の思考に顔が熱くなった。女子生徒から避けられるような男の子に興味なんてないはずなのに。
 高峰は登校時間ギリギリにやってきて、授業が終わると共に学校を出て行く。おそらく、仕事のためだろう。ほんの少しだけでも話してみたいという気持ちと、他の女子の前では話しかけたくないという気持ちがせめぎ合った結果、昼休みにいつも教室を出て行く彼を追っていた。彼の手にはコンビニの袋。佐緒里は母が準備した昨日の残り物を自分で詰め込んだ弁当箱を手に持っていた。何食わぬ顔で追ってみると、高峰は図書館棟と呼ばれる人の出入りが少ない北側の校舎へ向かい、階段を上がっていった。自然を装い、足音を殺して彼の後を着いて歩いていた佐緒里は、階段の踊り場で高峰と鉢合わせし「あっ」と声を上げてしまった。気付けばすぐそこに屋上へ出るドアが見える。
「用があるなら、さっさと言えよ」
 面倒くさそうな高峰の表情に気持ちがしぼんでいく。
「着いて来たりして、ごめん」
「同情なら間に合ってる。クラスの優等生は暗い男子にも優しいってか。冗談じゃないね」
「そんなつもり無い。ただ、働くってどういう感じなのか、知りたかっただけ」
 佐緒里の言葉に、高峰の表情が若干和らぐ。階段の一番上まで行って腰掛け、ビニール袋からパンを取り出しながら口を開いた。
「で、何が知りたい訳? 答えられる範囲で答えるけど」
 佐緒里は逡巡した後で横を向いてパンに齧り付く高峰の隣に腰掛け、膝の上で弁当の包みを開けた。視線を感じて顔を上げると高峰が呆れた顔でこちらを見ている。
「結構図々しいね」
「いや、迷ったんだけどどうせ話をするならこの方がいいかと」
「まあ駄目でもないけど」
 弁当箱の中には小さく切り分けたタンドリーチキンとプチトマト、茹でオクラ、カレーふりかけを混ぜたご飯が入っている。一瞬高峰にじっと見られた気がしたが、顔を上げるとそっぽを向いていた。しょぼい弁当とか思われてないかな、と考えたもののそこを尋ねる勇気もない。
「毎日働くの?」
「当たり前だろ。休みなんかないよ」
「体は辛くない?」
「辛いよ。遊べないどころか、勉強する暇もない」
 はっきりとした答えを返されてご飯が喉に詰まった。思わず高峰を見詰めてしまうと、あからさまに嫌な顔をされて「同情はいらねえし」とつぶやかれた。
「でも、無駄に毎日マックとかでたむろってる野郎より正しい生活かもしれないけどね。俺の住み込んでるところ、いい人多いし」
 いい人、という言葉でようやく喉に詰まっていた何かが落ちていった。人間関係ほど人を疲れさせるものはないと、部活のでの経験で佐緒里も良く知っていた。しばらく二人黙ったまま昼食を食べて、けれど黙っていても拒否されていないなと感じた佐緒里はパンの入っていたビニールを結んで片付けている高峰に疑問をぶつけてみることにした。
「ね、何で制服ダボダボなの?」
「貰い物だから仕方ない。買う金なかった」
「そっか。前髪ピンで留めないの?」
「仕事の時は見えないと危ないから留めてるけど、男が学校にしてきたらおかしいだろ。ほんとはもっとこまめに切ればいいんだろうけど、時間も金もない」
「ピンで留めるの、悪くないと思うけどなあ」
 佐緒里は手を伸ばして、高峰の前髪を指で上げた。驚きに見開いた目と目が合って、「ごめん」と髪から手を離す。高峰は勢いよく立ち上がると、佐緒里から視線を逸らしたままで言い放った。
「俺、胸がでかくてスカート短くて頭空っぽの女の方がいいような男だから」
 駆け下りていく高峰の足音が聞こえなくなって、手に持っていたフォークが床に落ちてしまっていることに気がついた。弁当箱の中にはプチトマトしか残っていない。トマトを手で口に放り込んで、これって実は私がすごく傲慢だった事への罰なのだろうかと佐緒里は考えていた。






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