てさぐりくらべ(里志視点)




 もし自分や松長暁彦がカメラマンというものの端くれにでも加わっているとすれば、カメラマンという人種は男女の関係に関して緩やかな…やや無節操な考え方を持っているものなのかもしれない、と結城里志は考えていた。

 一年で同じクラスになった窪井摂は、非常に目立つ存在だった。普通の男子高校生ならばあれだけの容姿があれば…少なくとも自分ならば、女子に騒がれて悪い気はしないし、好みの女の子と付き合ってみようくらいのことを考える。けれど彼は自身の容姿に騒ぐ女子達を、ただ冷たい目で見るだけだった。男に対してのほうが幾分か対応が柔らかいくらいだった。それでも彼が教室で一人本に向かう姿は、女子達の憧憬を煽っていた。
 この先も自分となどかかわりが無いだろうと思っていた窪井が、突然里志に声をかけてきた時、だから驚きを隠すことが出来なかった。しかし窪井はそんな里志などお構いなしに、校内新聞の藁半紙を突きつけた。写真部に入部を決めていた里志がそれを取り消してまで新聞部に入ろうと思ったのは、その時に見た松長の写真が理由だった。写真部で目にしたどの写真よりも、白黒の潰れた写真は生徒の表情を豊かに切り取っていたからである。
「風景写真なんかで食っていけるカメラマンなんて、ひとにぎりどころか米粒の一つくらいなんだよ。カメラで食っていこうと思ったら、学校の行事のスナップとか、結婚式のスナップとか、人間の良い表情切り取れるようになんないと駄目だ。それが現実なんだよな、結局」
 里志が一目その写真を見ただけで敬意を抱いた松長はそういう人物だった。寡黙で普段は滅多に自分の考えを語らないが、理解し合えると思った人間に対しては饒舌に語る。窪井や小平には語らない話を里志には語ってくれた。女性に関しての話もそうだった。
「小平は…憧れだな。美人で、聡明で、明るくて、くるくる回る。一度でいいから抱いてみたいとは思うけど、付き合い続けるのは無理だろうな」
 それは里志が小平に対して抱いた感情と同じものだった。目の前に居る人間の感情を感覚的に読み取る窪井と違い、里志は会話で相手を見ることが得意だった。
 小平が松長に想いを抱いている。そう里志が知ったのは先に気付いた窪井に言われてからだった。だが、小平が気持ちを打ち明けない理由に気付いているのは、自分だけだろうと知っていた。
 二人の『かなえ』は、何に対しても真面目すぎる。だから、他に付き合っている女性が居る男性に打ち明けることが出来ない。例えば打ち明けたとして、相手が自分になびいてしまえば、それは想う相手の不実を証明することにもなる。奪いたいと願いながら、奪い取るという行為の罪悪感に耐えきれない。けれどこの世界は、何かを奪い取らなければ生きていけない世界だ。人間は他の生き物の命を奪って食べているのだから。そう考える人間である里志は、名取香苗にも好感を抱いていたし、告白されれば揺れるのが分かっていた。
 ただ、名取の本当の王子様は…つまり彼女の真面目さに応えられる人間は、不真面目に見える窪井の方だと里志は思っていた。小平への想いと混ざってしまっているが故に、罪悪感で名取に対して本気を出せないような窪井だからこそ。

 中庭から部室の窓を見上げる。隣にあるベンチは、里志が良く彼女と待ち合わせる場所だった。そして珍しく彼女はまだそこに居ない。
 新聞部の部室の窓は開いていた。カーテンが揺らいでいる。里志の視力は両目2.0だ。ふわりと大きく揺らいだカーテンの向こうに、まるでスローモーションのように二人の姿が見えた。
 目を伏せ痛ましい表情をする名取。その彼女のまぶたへ、やけに苦しそうな面持ちで唇を押しつける窪井。以前から窪井が何かと理由を付けて名取に物理的なちょっかいを出していると薄々気付いてはいたが、現場を見たのは初めてだった。
 ふと、まだ里志が今の『カノジョ』と付き合う前、一度だけ小平と部室で体の関係を持ったことを思い出した。広いジャンルの小説や映画に触れている見識の広い「彼女たち」は、実のところ高校生の男がやや無節操な生き物だと知っている。そして自分の想い人以外に対しては、その無節操さを目の当たりにしても心を乱さない。小平が里志に対してそうだったように。
 以前は名取も窪井に対してそうだったのだろう。けれど、あの表情を見る限り、今は違うのかもしれない、と里志は思った。密やかにそして一途に後輩の女の子に想われるのは決して悪い気はしなかった。こうして待ち合わせはしているものの、最近『カノジョ』との歯車は合わなくなってきている。つまりは名取が惜しいという気持ちもある。
 だが里志にも人並みの罪悪感があった。新聞部の存在を突きつけてくれた窪井には感謝をしている。窪井の記事は面白く、ややひねくれたあの性格も面白い。つまりは友情と言える感情を抱いている。窪井が名取に小平以上の執着を持っていることは確かだった。しかも以前窪井が崇拝と呼べるほど惹かれていた小平と、里志はかなり安易に性的な関係を持った経験がある。
 まるで三人が三人暗闇の中、手さぐりで相手を探しているようだと里志は口の中でつぶやいた。里志は自分から動くつもりがない。だが、名取に捉えられてしまえばどうなるか自分でも予想がつかない。窪井が名取の手を探し出すことを祈りながら、里志は自分の名を呼ぶ『カノジョ』の方へと振り返った。



(里志視点終了)



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