てさぐりくらべ(摂視点、再び)




「里志の奴カノジョと別れたんだって? ざまあみろって感じだよな」
 パソコンをいじりながらわざと茶化すような響きで名取に話しかけると、彼女は一瞬固まった後で困ったような笑顔を見せた。
「本当は、羨ましかったってことですか?」
 核心を突く切り返しに、今度は摂が一瞬固まる。
「羨ましくなんてねーよ。ただ、宗教的な意味なんて考えずに浮かれるカップルがやったらと疎ましいだけで」
「日本の場合は宗教行事じゃなくて民間の年中行事みたいになってますからね。たまに何が何やら分からないことになってますけど」
 秋の行事に関する部紙の発行が終わると、しばらく学校行事のない日々が続き新聞部の活動は間が空く。名取は先輩の誰かが持ち込んだ電気ストーブを足元まで移動させ、学校の図書館で借りたという本を読んでいた。
 小平が部室を訪れた日から、名取の様子が今までと少し違うように摂は感じていたが、その時期は結城が彼女と別れた時期でもあるので彼女の変化がどちらに起因しているのか分からなかった。
「お前さ、このままでいいわけ?」
 隣の椅子へ腰を下ろし片肘をついて名取の方へ向くと、彼女は本から顔を上げて摂に向き合った。
「結城先輩が彼女と別れたからといって、私の方を向いてくれたわけではありませんから」
「振り向かせるくらいの根性はないわけ?」
「ありません…ね。勝てない相手には、どうやっても勝てないんです」
「なんだよそれ。敵はいなくなっただろ」
「敵じゃないんです。多分眼中にもないっていうか」
「いや、意味分かんねーんだけど」
 しばらく考える表情で下を向いていた名取は、顔を上げてまた困ったように笑った。
「気にしないでください。考えすぎて自分でも分からなくなってるんです」
「名取が自分で混乱してるんなら、俺に分かるわけがねー、か」
 両手を伸ばして彼女の白い頬を包み、引き寄せようとした摂の額に、冷えた手のひらが当たった。
「…えーと、何この手」
 眉を寄せた摂だったが、名取の表情を目の当たりにしてその表情は失われた。
「もう、やめましょう。先輩」
 傷ついて、諦めたような表情は十六歳の女の子に似つかわしくない表情だった。綺麗だと思った。誰かを思い出させる表情だった。
「私は、小平先輩にはなれません。到底」
 想い浮かんだ名前を言い当てられ、摂は咄嗟に両手を引っ込めた。それが肯定の意味にしかなり得ないと気付いたのは既に手を引っ込めた後だった。
「憧れて、いらっしゃったんですね。お二人とも」
 女の子と歩く松長を見る小平の表情が、今の摂の目の前にあった。
「いや、俺はともかく里志は…」
 続けようとして言い切れなかったのは、墓穴を掘ったと思ったからだった。
「どうして、ご本人に言わなかったんですか? この間、いらっしゃった時だって…」
 形勢逆転とはこのことだ、と後輩を目の前に摂は心の中でつぶやいた。
「俺も名取と一緒だよ。自分でもよく分かってねー」
「窪井先輩でもそんなふうに混乱する事があるなんて、意外です」
 雰囲気を断ち切ろうとするかのような名取の笑顔は、摂の混乱を助長した。零れそうになっている涙をこのまま見ていていいのかすら分からなかった。
「窪井先輩」
 呼ばれて直視すると、名取の頬には涙が流れていた。手を伸ばせば止まらなくなると自分に言い聞かせ、摂は拳を握りしめた。
「私、記事を書いた方がいいんでしょうか?」
「…いや、名取は十分仕事してる。書きたければ書けばいいし、書きたくなければ書かなくていい」
「ありがとうございます」
 名取は深く頭を下げてから「帰ります」と小さくつぶやき、鞄と本を手に取って部室を出て行った。摂は電気ストーブの小さなジリジリという音を聞きながら、虚空を眺めていた。残されていたのは、抱きしめたかったという気持ちだけだった。



(摂視点、再び 終了)



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