体温中毒(1)




 まさか自分がこんなに人肌を求める性格だとは思わなかったと、男の首筋に頬を寄せながら大谷葉常おおたに はつねは考えた。
 今葉常はベットに背をもたせ掛けて座る男の体に跨って座り込み、首に手を回して体重を預けていた。一方の男…倉沢祐一は、方手で葉常の頭を撫で、もう片方の手は緩やかに背中へ回されている。頭を撫でるのは既に倉沢の癖のようになっていて、私は子供じゃないんだからと考えることもあったが、だからといって止めて欲しいわけでもなく心地が良いので口には出さなかった。
 倉沢は葉常の職場のパソコンの納入業者でネットワークの設定までを任されていた技術者だった。本人は自分の事を「技術者になれない技術屋」と言っている。納入の作業が終わった日、名刺に私的な番号とアドレスをメモして渡され、葉常はその日のうちにメールを入れた。初めて食事に行った日にはもうこの部屋でこうして体温を分けてもらったのだと葉常は記憶を反芻する。以前彼が女避けのためにしていた銀の指輪は、葉常と付き合うようになってはずされていた。
 一人暮らしをする倉沢の部屋の中は無駄がなく、棚や引き出しの多くには「コード類」「取扱説明書」などラベルが貼られている。ネットワーク関係の技術屋というのは几帳面でなければできない仕事なのだろうと葉常は思ったのだが、その事を職場の友人に話すと「私は無理。耐えられない」という言葉が返ってきた。「でもほら、机の引き出しは仕切りを作って文房具を分類しないと気が済まなくない?」と尋ねれば、「そんなの葉常だけ」という言葉も返ってきた。何にせよ、几帳面すぎる男は気持ちが悪い、というのが友人の持論なようだった。
 しかしこの温かい人肌が得られるのであればそんなのは些細な事だ、と葉常は思う。固すぎず、柔らかすぎない身体、適度な温度。大学の頃は何人かの男子学生と付き合ったし、体の関係も持ったが、こんな風にただ体温を分け合うように触れ合うことはなかった。それは肌を合わせればすぐに行為に至ってしまったからであって、その点倉沢は何度体温を合わせてもそれ以上を求めてこなかった。
 それを寂しいと感じないわけではなかったが、でも穏やかに体温を分け合う行為が好きな自分がこれ以上を求めるのも贅沢かもしれない、と運転をする倉沢の横顔を見ながら葉常は思った。倉沢は十時を過ぎると「送ります」と立ち上がり葉常を自分の車に乗せる。

 葉常が八回目(くらい)と数えたその日のデートでも、やはり食事の後倉沢の部屋で服を着たまま体温を分け合っていた。葉常の服装はタイトスカートだったので倉沢に跨るとスカートが太腿の半ば以上まで上がってしまったが、今更なので隠す気も起きない。ふと気になって葉常が倉沢の肩から顔を上げると、彼は「ん?」と柔らかな声を出した。葉常はその声に気を良くし、思ったままを口にする事にした。
「倉沢さん、前の彼女ともこんな事してましたか?」
 倉沢は途端に戸惑った顔をして「いや」と曖昧な返事をして目を逸らした。
「言いたくないなら、いいんです」
 却って重圧に感じてしまうだろうかと思いつつ、無理に過去を追及するつもりはなかったので葉常はそう言わずにいられなかった。倉沢は葉常の肩口の辺りへ視線を彷徨わせつつ、その手はやはり葉常の頭を撫で続けていた。
「言いたくない、というか…こんな風に女性と何度も一緒に出かけるのは、初めてですから」
 葉常は目を瞬かせた。倉沢は葉常より五つ年上である。
「でも、前に女性に付きまとわれたとかって」
「ええ。女性の事を良く知らないのに、突然見知らぬ女性に付きまとわれて混乱しました。『結婚』という言葉まで口にされて、少々怖くなったんです。何と言うか、彼女の行動の意味が良く分かりませんでした」
 葉常はもう一度頬を倉沢の首筋に寄せ、この人は出来事までが整理されていないと気がすまないのかもしれないなあと考えた。
「一目ぼれを盲目的に信じるタイプだったのかもしれませんよ」
「ええ、そうですね。今なら少しだけ、分かるような気もします」
 ぎゅう、と葉常が倉沢の体にしがみつくと、倉沢は「葉常さん」と呼んだ。同じ職場に同じ名字の同僚が居て混乱する、という理由で倉沢は葉常の事を名前で呼ぶ。
「僕と結婚することは、考えられますか?」
 話の流れからして純粋な質問に捉えた葉常は、顎に手を当てて考えた。倉沢と付き合いだしてから三ヶ月。まだ三ヶ月しか経っていない、とも言える期間である。しかし倉沢の体温を結婚という名で引き寄せることができるのなら、それはそれで魅力的な制度でもあるように思えた。そしてただの勘ではあるが、この人となら一緒に暮らして行けるだろうな、という感覚があった。
「考える事はできますけど、ちょっと早いような気もします」
「そうですよね。でも、ごめん、待てないかもしれない」
 言葉と共に太腿をそっと撫でられて、葉常はその意味に気付き驚いた。
「待たなくていいですけど」
「えっ?」
 やはり驚いた表情をしている倉沢を見ながら、葉常は倉沢の直接の体温はどんなものだろうかと考えていた。同時に、もし倉沢が自分を整理の対象としたら、彼の体温を失って私は真っ当に生きていけるだろうかと、一瞬の不安が頭を過ぎった。







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